日本のデリバティブの歴史とウィークリーオプション

今年で株式先物が導入され30年となります。そこで、デリバティブ市場の歴史を振り返りながら、一昨年上場されたウィークリーオプションを採り上げたいと思います。

ウィークリーオプションは、平成27年5月25日より大阪取引所で取引が開始された、毎週木曜日が最終取引日で、金曜日の寄付きを清算値とするオプションです。

明治時代のオプション取引、天目下目(てんめしため)

先物取引が江戸時代から日本で先行して行われていたのは有名な話ですが、オプション取引も明治時代から天目下目という名称で行われていました。明治時代は米穀と株式の両市場で立合いが行われていました。

日本の証券取引においては、現在の先物取引のように差金決済を行う清算取引が活発で、その取引は取引所内外で行われていました。

戦後の証券市場の変化

戦後、GHQは証券取引所を再開するにあたって1.清算取引を認めない。2.証券の売買に際しては委託及び売買成立の時間を記録する。3.特定の例外を除き上場物件は全て取引所で清算を行うという、三原則を課していました。

しかし新潟取引所では、戦後の取引再開後も天目下目の取引が地場会員により行われていました。この時行われていた天目下目の仕組みは、花形銘柄の当日の価格を基準に3日目の前場引けの相場予約を行う場外相対売買でした。当時この取引は問題となり、昭和27年8月14日に関係者に重い処分が下りました。

その後の先物導入の流れ

昭和26年のサンフランシスコ条約によって日本が主権を取り戻しました。それにより、GHQが課した三原則は法的根拠を失いました。そのため、その後、市況が不振になるたびに「清算取引復活」運動が盛んになりましたが、実りませんでした。しかし、信用取引で代替できるとの主張や、先物取引は投機的であるとの思い込みから導入は困難でした。

その後、日本が国債の大量発行時代に入ると、国債の円滑な消化、流通という面から債券先物によるヘッジニーズが生じました。それにより、昭和60年6月に債券先物市場が開設できるよう、証券取引法の改正法案が可決されました。

その改正では①標準物(クーポン6%、残存10年)を有価証券の定義に加え、②証券取引所は先物取引に、海外証券会社並びに金融機関に取引資格を与えることが出来るとし、③証拠金に関して新たに規定する、ということが行われました。

そして同年、長期国債先物取引が開始されました。

その導入により先物に対するアレルギーが解消されるのを待ち、次に昭和62年、取引所の業務規程の変更を経て、株先50の取引が開始されました。

昭和63年の証券取引法改正では、いくつかの点が変更されましたが、①指数先物・オプション取引及びその取次ぎを、「証券業」のディーラー及びブローカー業務に含めることで導入を可能にし、②証券会社の行為規定の対象として、指数先物・オプション取引が加えられました。

この変更により、指数先物、オプションの取引が可能となり、昭和63年9月3日から日経225先物が、翌平成元年6月12日より日経225オプションの取引が開始されました。

その後、平成18年7月よりに日経225ミニ先物が、平成26年にJPX日経400の先物とオプションが、そして平成27年に日経225ウィークリーオプションの取引が始まりました。

当社の創業者である故巽悟朗は、先物取引の将来性を見込み、大阪証券取引所の先物取引導入に尽力しました。

日経225ウィークリーオプション

ウィークリーオプションの制度概要※

(JPXのサイトより http://www.jpx.co.jp/derivatives/products/domestic/225options/03.html )

ウィークリーオプションは毎週満期を迎えるために、通常の限月取引のSQが直近とならない限り、ウィークリーオプションのプレミアムの方が安くなります。そのため、イベントが通常の限月取引のSQ週以外にあった場合、ウィークリーオプションを使うことにより少ない資金で、売買が可能となります。

使い方の例としてはSQがどちらに振れるかを予想して、前日の引け前にポジションを取る方法があります。1月6日の現物の引け値は19,520円でしたが、1月7日にSQを迎える権利行使価格19,500円のプットオプションは40円から45円で取引されていました。為替がドル安円高傾向に動いていたのでそのプットを45円で購入できたとすると、翌日のSQは19,340円となったため、プット購入1枚当たり4.5万円のリスクで11.5万円の利益となりました。

このようにうまく利用できる局面でポジションを作れれば、ポートフォリオの収益源として活用できる商品であり、注目したいところです。

 

今回のレポートを作成するにあたり、日本証券経済研究所大阪研究所所長の二上季代司様から貴重なお話を聞かせていただきました。先生のご尽力に感謝いたします。

 

参考資料

新証20年誌 (新潟取引所)

独立不羈 故 巽 悟朗初代社長の人と業績

昭和財政史 - 昭和49~63年度 第6巻 金融 証券行政 昭和60~63年度

https://www.mof.go.jp/pri/publication/policy_history/series/s49-63/06/06_4_1_03.pdf

戦前日本の取引所制度の形成と商人の対応(李 明輝)

http://ci.nii.ac.jp/naid/110004780821

 

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光世証券株式会社 金融商品取引業者 近畿財務局長(金商)第14号 加入協会/日本証券業協会

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