光世証券の歴史
シンボル
弓を引くヘラクレス
本店(大阪)2階のレセプションルームにて偉容をみせるヘラクレス像は、近代彫刻の三大巨匠の一人といわれるプールデルの代表作です。ヘラクレス像の究極ともいえる緊張感は、相場に立ち向かう理想の姿として、光世証券のコーポレート・カルチャーのシンボルとなっています。

[弓を引くヘラクレス(1909年)]
彫刻家 エミール=アントワーヌ・ブールデル(1861〜1929) 作
1909年から1914年にかけて、ブールデルの創作活動は最も旺盛で、一連の充実した彫刻群を生み出しています。この「弓を引くヘラクレス」において、ブールデルの自由で大胆な総合的表現に向かっての発展は頂点に達しました。
ギリシャ神話の英雄ヘラクレスが、人々を悩ませていた怪鳥ステュムパーリデスを射落とそうと渾身の力で弓をひき、矢を放とうとする瞬間を捉えており、まさに行動に移ろうとする男性的な力のイメージを表しています。
この作品は、1910年のサロン・ド・ソシェテ・ナシオナル・デ・ボザールに出品され批評家の絶賛を呼び、ブールデル芸術の重要な発展を記念する力作であり、彫刻家ブールデルの代表作となっています。
五代友厚 像
本店(大阪)エントランス前に、右手を前に出しながら北浜を見つめる若者の坐像があります。
「五代友厚」の像です。近代日本の先駆者として大阪経済の発展の基盤を築いた氏の功績を称えるとともに、その精神と勇気を今に伝えるため光世証券の玄関に鎮座しています。

[五代友厚] 1835(天保6)年〜1885(明治18)年
薩摩藩士の次男として生まれた五代友厚は、藩校の造士館や長崎で学び、上海への渡航や薩英戦争を経験した後、1865(慶応元)年から翌年にかけて、薩摩藩の留学生とともにイギリスほかヨーロッパ各国を巡りました(像はこの頃の姿)。
明治維新となった1868(明治元)年、政府の外国事務局判事や大阪府権判事、会計官権判事などに任じられ、大阪に赴任しました。 この時、大阪に造幣寮(現・造幣局)を設立しています。
翌年、政府の役人を退官。大阪で実業の世界に入り、以後、鉱山、紡績、製塩、海運、鉄道など数多くの事業に携わったほか、大阪株式取引所(現・大阪取引所)や大阪商法会議所(現・大阪商工会議所、初代会頭)、大阪商業講習所(現・大阪市立大学)などの設立にも関与し、大阪の産業・経済の発展に力を尽しました。この業績から、「東の渋沢栄一、西の五代友厚」とも称されています。
[彫刻家 中村晋也]
日本芸術院会員 文化勲章受章(2007年)